私にとって庭が興味深いのは、
【内側と外側の境界】
【私(Private)と公(Public)の境界】
である点です。
いや、厳密に言うと、庭は土地の所有の観点から言えば、所有者にとって内側であり、私的(Private)な場です。とはいえ、外側・公(Public)ギリギリのエッジ(境界)にあり、外側・公に及ぼす影響も多大です。
庭とは、外側に近接する内側であり、公に近接する私。
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私は、趣味で自分の庭をつくっています。
当然ながら自分好みの植物を、自分好みに配置し、お世話と成長を楽しんでいます。季節を感じる落葉樹の庭や雑木の庭が好みで、作りこみすぎない、園芸種の花で無理に埋めない、緑を基調として季節ごとに花木であふれた庭が好き。
つまり、【私】個人の趣味で、庭は埋め尽くされていきます。そして、当然ながら、庭は、【私・内側】に多大な影響をもたらします。
とりわけ、心と体。季節ごとの好きな花が咲くと歓喜し、鬱々とした気持ちの日も、植物の生命力に触れると、慰められます。また、デジタルに囲まれた生活から離れて、土に触ってみると、体も心も、文字通り地に足がついた感じになります。
植物を眺めながら、ぼーっとしている時、そこには普段の生活とは異なった質の時間が流れているようです。たとえあまり植物に興味がない人でも、春の桜を見たら、ふわっとした気持ちになりますよね。
ということで、庭やベランダで植物を育てている人には、超当たり前すぎることかもしれませんが、庭は内側にいる個人に、心と体の面にダイレクトな影響を与えます。
一方、庭が【外側・公】に与える影響についてはどうでしょう?
個人宅であれ店であれ施設であれ、ある庭が、公に与える影響です。ある他人の庭を客観的に見ているとき、それは景色(ランドスケープ)になります。個人としての庭のように、特別に私好みにしたいとは、大抵の人は思いません。なんとなく通過しながら、好きな植物や綺麗な花だと目が行ったり、自分の趣味と違うな、と軽く思ったりする程度ではないでしょうか?
また、特別意識しなくとも、その景色としての庭の集合体が、結局その街の印象となります。景色(庭)の集合体を見て、なんとなく閑静、豊か、殺伐としている、治安が良さそう、住みやすいとか、様々な印象を付けます。
さらに、これは私がある施設のガーデニングのお仕事をする中で経験・発見したことなのですが、不思議なことに、庭の植物が起点になって、公においてコミュニケーションが生まれることが頻繁にあります。しかも、そのコミュニケーションは(植物を介しているためか?)爽やかで円滑です。挨拶程度の話から始まり、地域の人々の交流が進みます。お花見などは、植物を起点としたコミュニケーションとしては、分かりやすい例かもしれません。
ということで、庭は内側にいる個人だけではなく、外側にいる公の人にも大きな影響を与えます。それは、庭が景色となり、通った人の感性に触れるからであり、最終的には街の印象に紐づけられます。さらに、庭があることで、植物を介した交流が始まることさえあります。街のブランディングと活性に一役かっていると思えば、庭をないがしろに考えるのは得策ではないと思いませんか?
このように、内側にも外側にも影響を与える庭に、私は物凄いポテンシャルを感じています。最近は、新型コロナウィルスの影響で在宅ワークなどが推奨されています。
この流れで、通勤の満員電車で時間と体力を割くより、自宅でいかに豊かに暮らし、健康的に働くか、という流れが、どんどん進むのではないかと考えています。
都市の一極集中が緩和され、地方に人が分散され地元で働くとなれば、なおさら、街の魅力の尺度は『通勤に○分かかる』『梅田から○分』というものから、『いかに気持ちよくすごせる場所か』にシフトしていくのではないでしょうか?
通勤に使っていた時間を、庭で土を触ったり、庭で昼ごはんを食べたり、住んでいる街を散歩する時間に当てられたらすてきです。庭という存在に、もう少し目を向けていきたいです。
【2020.4.16】
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