昨年秋に、萌木の村のポール・スミザーさんのガーデンウォークに参加し、コピシング(萌芽更新)という、低い位置でバシッと木を切り戻し、新しい若い枝を出す方法の話を聞きました。
このカツラの木はアクシデントで切られたらしいですが、切った下から若い枝が出てきた結果木は若返り、清里バレーというイベントの際に設営される舞台との干渉の問題もなくなったそうです。また、コピシングすると葉っぱも大きくなるので、黄葉などもより楽しめるとか。
木も年々老化していく訳で、手入れせず放っておいてもゆっくりと時間をかけて朽ちていき、やがて倒木し、根本から出た若い枝に命を繋いでいきます。大きな木が倒木することで、同時にその下には日が当たり風が通るようになり、新たな生態系が育まれます。
人間が手を入れる(コピシングする)ことは、この倒木のプロセスが一瞬にして起こるというこです。結果的に100年くらい時間を進めるということになる、というポールさんの言葉が心に残りました。
これまでも萌芽更新やコピシングについては知っていましたが、愛着を持って成長を見守ってきた木をバシッと低い位置で剪定することに『人間の都合だよな』と、やはりどこか抵抗がありました。
でも人間が生きていく限り人間の都合は付き物であり、その中でくだす決断や選択は、自然のエネルギーの方向に沿ったものであり、生き物が増える方向でありたいと思いました。
樹齢何百年の木からの生命エネルギーは凄まじいものだし、庭に大きな木があると場のエネルギーは明らかに変わります。が、一つ間違えて、木は老いて朽ちていたがってるのに莫大な費用をかけて留まらせたりすることは、単なるノスタルジーへの執着なのかもしれない。
そもそも、自然とは変化すること。
庭を手入れする人は、時に、ノスタルジーを断ち切り、時間を進め変化する決断をしなければならないのだと思います。
(2025.1.8)
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