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anamimamiko

庭と心の境界

庭には境界がつきものです。

境界は土地の所有範囲を表す人間だけの概念で、植物も動物も、知ったこっちゃぁないんですよね。


家族に登録した憶えもないのに来訪してくるアライグマ。

気ままに適当に庭仕事の現場監督をしにくる、どこかの猫たち。

私の世間体を顧みず、お隣にまで枝を伸ばし葉を落とす庭の木々。


こんなとき、もともとは一つと土地を、人間の都合で分断しちゃってるんだなとつくづく思います。では境界がない場所に住めるのか?と言われるとそれはやっぱり難しく、自分の安心できる縄張りを囲いたくなるのが人間の性です。


その境界にもいろいろな種類や方法があって、ふわっと区切る昔ながらの生け垣や石垣や板塀に対して、最近はビシッと区切るブロック塀、フェンス、コンクリート塀がほとんどです。


うちの庭でも、古い家との境界は石垣で、新しい家との境界はコンクリート塀になってます。そして、古い境界のところは土の状態がいいのに、新しい境界のコンクリート塀の付近は、土がグライ土に変わり、植物が育ちにくい状態になっていました。


現在のコンクリート塀は昔に比べて、隙間のない塊でくっきりと土中まで仕切ってるせいで、土の中の水や空気の通りが遮断されてしまうためです。技術が向上し、しっかりと区画を分けられることは安心で良いようにも思いますが、本来自然環境はつながってるものなので、行き来できる隙間を作っておくことが大事なのだと思います。


最近、人間関係も庭の境界と似ていて、自分と相手の間に心の境界を堅固に構えていると、例え人と一緒にいても結局は孤立してしまうことに気付いてきました。


相手の良い報告に『自分にはどうせ無理。彼(彼女)だからできる。』と拗ねてみたり、悪い報告に『かわいそう。自分にはそんな問題はないし、大丈夫だけど。』と同情してみたり。境界は必要だけど、あまりにもしっかり区切ると人間関係も風通し悪く、息苦しくなってきて、人といる楽しさがなくなってしまいますね。たとえ恐くて壁を作ったとしても、少し風穴をあけるだけで何か変わってくる気がしませんか?


本来はつながっているものにあまりにも線引きすると、命の可能性を自ら狭めてしまうのではないか、と庭から学べる気がします。


これからも、風通しがよく、雨水が健やかに流れ、土が深呼吸するような庭を目指して。。庭の境界の在り方についても色々と研究してみたいと思います。



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